計画地は桜の名所として親しまれる関川に面しており東側のエリアには刀鍛冶の守護である春日神社を中心に伝承館・濃州関所茶屋などが整備されています。敷地周囲を含め、町を俯瞰した視点で計画を検討することで、既存施設を有効に活用し「刃物のまち関」を五感で楽しむことのできる産業と観光の拠点づくりをします。
都市形成史と景観まちづくり
往還の大路―刃物ミュージアム回廊
3 周辺エリアとの回遊性の考え方と計画
景観計画重点地区候補の「刃物ミュージアム回廊」は、まちの歴史文化・産業・観光を代表する面的エリアの高度なポテンシャルを持つ。鉄道駅を併設させ、回廊名を公共交通施設として全世界に発信できる絶好の機会でもある。しかし隣接エリアを含む周辺一体の都市計画ヴィジョンを示さないまま、計画範囲を平和通りと長良川鉄道、関川に囲まれる区域に限定することは、まちづくりのポテンシャルを矮小化してしまう。刃物産業の起源と言ってよい春日神社(刀匠による大和の春日大社御分霊の勧請)や、関鍛冶伝承館・濃州関所茶屋及び隣接NTT社屋(情報化時代魁の電波塔を冠する巨大建築は既に景観上負のランドマークとなっている)エリアを含む東側都市計画道路(西本郷一ツ山線)までの街区全体に、まちの歴史を未来につなぐグランドデザインが求められているのではないだろうか。
関川を挟んで西のエリア(産業、観光、情報)、東の関鍛治伝承館・NTT中央エリア(鍛冶伝承と神社宝物の歴史文化)と春日神社(鍛冶守護神事、聖域)を東西に直接つなぐことがまさに“刃物の歴史回廊(ギャラリー)”となり、街を代表する景観街区に成り得ると思われる。東から西へ歴史的及び(聖から俗・一般への)階層の順に位置する「神社」、「伝承・宝物館」、「ミュージアム」の一体的施設群の回廊化は(現状ありきの相互関連が見え難く、互いにアクセスし辛い蛇行接続のままではなく)、古のまち軸に倣う視覚・動線的に簡明な軸上レイアウトが街区の一体性と相互連結(統合)性を高める。東側エリアまで長期にわたり段階的に“歴史景観軸”が創られていく過程で構想意図が市民に共有され、その経過が世界に発信されていくこととなろう。中世から交通の要所である関のまちは、唯一無二の700有余年にわたる刃物にまつわる歴史資産(都市形成史)をまちづくりコンセプトの骨格に据えることにより、その歴史と現在が未来に向かう景観づくりのまちとなる。
市中心部の地理的プロフィールは北に安桜山、東・西に吉田川と関川、南に一ツ山・梅竜寺山と津保川、南東から北西方向に走る長良川鉄道(中世からの主街道に呼応)がある。いわゆる鬼門の艮(北東)や裏鬼門の未申(南西)には神社や寺社が置かれ街の配置が風水の考えに大凡対応しており、東西南北の通りが中世から明確に存在していた。春日神社には神仏混淆として新長谷寺の末寺(大雄寺)が明治初めまで併置され、新長谷寺参道南端の後堀川天皇勅願古刹碑が西へ直線路で春日神社東鳥居に結ばれている。長良川鉄道とこの通りの間にあったとされる「往還の大路」を、歴史景観中核の新長谷寺と春日神社を結ぶこの東西の軸に復刻する。東に向かう刃物ミュージアム回廊のベクトルは、垂直に交わる南北都市計画道路(西本郷一ツ山線)の歴史化(”小奈良”)構想と相乗し市街地の景観まちづくりのメインフレームとなり、過去の点的遺産を線、面として未来に紡いでいくまちの景観シンボルと誇りになる。サステナブルな立地適正化計画と重層する景観まちづくりにおいては、この東西・南北の景観軸構想が分散する歴史資産をまちのアイデンティティとして魅力的に統合し、“歴史のまち関市”のまちづくり再構築コンセプトの骨格となるであろう。